怒涛の日々を過ごす
過ぎてく...
毎日覚えることに必死で、新しいことを体験し、疲れが残る。しっかり寝ても、朝起きるのは簡単じゃない。もう来週で4月も終わり。何でこんなに必死に生活してるのかよくわからなくなるけど、いつになったら答えが出るんだろう。
つい最近まで、よく電話をしていた友人とも連絡を取ることすら少なくなってきた。話したいことはたくさんあっても、なかなかうまくいかない。実際は言い訳を探してるだけかもしれないけど、そんな簡単じゃない。
筋トレの頻度も少なくなって、ご飯食べる量も少なくなって、勉強もかろうじて続けて。
優先順位がある。生活には。 やりたいこと、必要なこと、やるべきこと、しなくてもいいこと。その順位の決め方は何か。1度しっかり考えてみたい。なんで、これをしているのか。突き詰めて考えると何かわかりそう。
休日はだらだら寝続けたい気持ちもあるけど、時間に余裕がある時を使ってもう少し、自分について知りたいと思う。
Romantic Day 幸せは習慣、それを体得しよう
最近は新生活が習慣化してきたと感じています。習慣化するのに必要な期間はおよそ3週間から2ヶ月と言われています。4月に入り、そろそろ3週間がたちそうです。早寝早起きが習慣となり規則正しい生活が今後もできそうです。
そして、先日は久しぶりに友人とご飯を食べました。コロナもまた増えてきているので2人でさっと食べ、その日は終わりましたが、久しぶりに会うとやはり楽しかったです。それぞれの生活について話、時間が経つのも一瞬でした。
ここで、タイトルにある“幸せは習慣、それを体得しよう”という言葉について書こうと思います。この言葉は私の座右の銘です。座右の銘って意外と持っている人は少ないようですが、私はこの言葉を聞いたときに良い言葉だと感じ、そのまま座右の銘にしてしまいました。
言葉の意味はそのままですが。
私たちが幸せに感じるものは人それぞれです。でも、日常にたくさんあると思ってます。
なんかこのまま書くと宗教チックになってしまいそうですが、簡単に思ってもらえるといいです。
幸せとは、感じ方の違いだと思います。例えば、近所の方が挨拶をしてきたとすると、「近所に住んでるし、当たり前」、「挨拶をしてくれて気分がいい」、「あんまり関わりたくない」など、あらゆる面で捉えることができます。ここで、ポジティブに受け取ることが一つの幸せを感じる要素だと思います。気分がいいと思えば、とりあえず嫌な気分にはなりません。簡単で極端な例をあげましたが、大体こんな感じです。
私は、今では「気分がいい」なんていちいち思っていません。多分それは習慣化されたからだと思います。そして、ここですでに体得までできています。挨拶に関して言えば、不快に感じないよう、ポジティブに捉えることを習慣化します。
習慣とは、簡単に言えば、あることが無理しなくても行えるというようなことで、体得は自分のものにするというようなことです。
気分がいいなんていちいち考えていなくても、勝手に気分がいいので、それは自分のものにできているということです。
書きながら、例が悪かったかなとも思っています。うまく説明できませんが、最初は無理してでも、日常にある良いこと、良さそうなことを幸せだと思うことが必要なのかもしれません。趣味が幸せだと思っていて、それしか幸せがないなら、幸せの量を増やすことが大切です。空綺麗とか、目覚めがいいとか、渋滞じゃないとか、何かの商品が買えるとか、友達と連絡取ったとか、ご飯行ったとか。もう何でもいいと思います。何も感じないとこから、幸せの側面を探し、そう感じることを習慣化し、それを当たり前に、自分のものにしていきます。
これが私の座右の銘である、“幸せは習慣、それを体得しよう”です。
わかっていただけたでしょうか。もう無理矢理まとめた感が出てますが。
実際、日常にあることを全部幸せに感じることができたら、最強のポジティブ人間だと思います。自分ができてなかったからこそ、座右の銘にして意識して生活しています。でも、こうすることで、気持ちに余裕が出てきました。それなりに毎日楽しく生活もできています。嫌なことがあっても、それを上回る量の幸せを感じ1日を終えています。
歯を磨くのが当たり前のように、靴を履いて外に出るように、毎日の幸せも当たり前にしてみてはいかかでしょうか。ぜひ。
家を出る理由
4月も2週目が終わり半月がたちそうです。そろそろGWの予定も立てたい頃。インドアな私は、何もなければ家を出ることがありません。ご飯を買いに出たりはしますが、外で活動をしないのです。学生の頃は何かしようと思わなくても友人に誘われることが多く、どこかに出歩いていました。社会人になるとやはり友人に会う回数は減り、外に出る機会も減っていくのだろうと感じました。
昨日地域の社会人ラグビーを一緒にやろうと誘われましたが、流石にもうラグビーはいいかなと思っています。10年以上してきましたし、怪我の心配もあります。迷惑はかけられませんから。
ということで、今後は土日に何か外に出る予定を立てようと思います。することはなんでもいいです。散歩でも、ご飯を食べに行ったり、少し遠くに行ったり、何かしようと思っています。実際、家にいても、筋トレもするし、ご飯も作って食べるし、映画を観て、と、なんだかんだ色々しているんですが。陽の光を浴びないと。意識して。
そして本日は福岡県の県知事選の日でした。私も投票に行ってきました。正直どっちが良いかわかりません。でもとりあえず行くことが大切だと思います。本当に興味ないですが、若者が選挙に行き、若者の投票率が上がることで、今後若者向けの活動をしてくれる人が出てくると思います。そのために、いやでも、興味なくても、とりあえず投票した方がいいです。
また明日から1週間が始まります。まだまだ仕事は研修中ですが、頑張ってたくさん覚えようと思います。無理しすぎずに。仕事は選挙と違って嫌ならやめてもいいと思ってますが、いやなレベルはしっかり決めときたいです。わがままとは別ですので。
写真はまだ冬の頃のものです。気付いたら写真も撮らずに過ごしてました。意識してないとしなくなるものも出てくると思うと、寂しくなります。写真撮ります。
Romantic Day 土日という名のデザートたち
待ちに待った休み、大好きな休み、そして1週間の締め。
まるで料理の締めを飾るデザートじゃないか。
土日の過ごし方で、今後が大きく変わりそうな予感。
社会人になって初めての土日が終わりました。
今年は、2日経てば休みだったので他の年に比べると良かったかと思います。学生の頃と比べて、平日できないことは土日でしないといけなくなり、一気に貴重感が出ました。
丸一日使うような予定はありませんでしたが、一応8時までには起きて、色々しました。昼まで寝たい気持ちがあっても、早起きを習慣化させたい気持ちもあったので朝おきました。特別早起きというわけではないですが。
朝から活動するとしっかり時間が取れてたくさんのことができました。これからはそんなこともできなくなるくらい疲れるかもしれないと思うと、少し不安です。無理してでも予定を入れて何かしないと、”平日は仕事、土日は寝るだけ”で一生が終わってしまいそうです。
そういえば、金曜の夜はハウルを観ました。ノーカットで、エンドロールまであったので初めて全部を観ました。今まではハウルをそこまで理解できなかったんですが、今回しっかり観て、内容も理解し、面白いと感じました。
個人的に好きなジブリ作品は、天空の城ラピュタですが、ハウルも好きな作品になりました。原作も読むと更に理解が深まり、面白くなりそうです。
来週はゲド戦記って言っていたような気がしますが、あまり覚えていません。
観るかどうかもわかりません。
観たい気持ちはありますが、金曜のあの時間に2時間って結構自分のやりたいことできなくなるし、それまでにやるべきことやってないと、夜もどんどん遅くなるので、準備が必要です。簡単に決められません。
とりあえず、明日から1週間頑張りたいと思います。あまり負担にならないように、でも手を抜くことなく、頑張ります。
写真はハウルの動く城から好きなシーンの一つ。ソフィーがおばあさんになって家を出た後のシーンです。
ハウルの動く城 Howl's moving castle [7]: アニメスクリプトで英語学習 Anime Script English
エイプリルフール
社会人一日目終了。
入社式と会社の説明で一日が終わった。きつすぎる。まだ働いてないのに、働くって想像以上にきついことに気付いた。
ただ、同じ部署の人たちは良い人が多そうで良かった。
社会人になったら時間がないってよく聞くけど、確かに。帰ってきても疲れ取るのに必死になりそう。筋トレはどうにか今後も続けたい。
そういえば会社の説明の時、中国の物乞いの話少し出てた。
これと少しかぶる内容↓
みんなはどうだったんだろう。
ちなみに同期の中にいる高校の同級生は入社式も、その後の説明も寝てた。カクカクなってるのがwebで丸見え。
韓国人の友達は今日から卒業旅行に行くらしい。私は行くのやめたからな。羨ましい。コロナおさまってよほんとに。
写真は、いつの日か撮った夕方の。きれい。
タイトルのエイプリルフールは今日が4月1日だからだけど、実際、これ書くまで全然覚えてなかった。気にもしてなかったし、誰にも嘘つかれてない。たぶん。嘘つかれても気付いてないだけかも。
Romantic Day 21年度 春
今年の桜は満開になって散るまでが少し早かったように感じます。
桜が咲いたなと感じてすぐ風が強い日があったことが原因かと。
今は葉もつきはじめ、花と葉が半々くらいになっています。数日で葉桜に変化すると思うと時間の流れが一瞬に感じます。
春がきたということは新しい一年の始まりでもあります。
私は今年から社会人になるので、今までとは違う一年の始まりです。学生だった今までと、社会人になってからのこれから、何がどう違うのかはっきりはわかりません。
責任というのが一番最初に浮かんできますが実際はどうなんでしょう。
不安もあるし、楽しみでもあります。
不安要素の一番は人間関係です。学生の頃から、友達を作るのが上手だったわけではないのでそこも踏まえて不安を感じます。でも、今でも連絡を取ったり、遊んだりする友達は何人かいて、なるようになると思っています。
会社は友達とはまた別なので、多少違いはありますが、部活やバイトの経験もあるのでどうにかなって欲しいです。
楽しみなのは、新しい環境なのでまだ知らない自分に気づくことができるかもしれない、知ることができるかもしれないという点です。
会社は成長するための場所ではないという言葉を聞いたりしますが、成長する場所であることは間違いないと思います。特に、今まで学生だった私からすれば成長しかないと思っています。
多くのことを学んで成長したいと思います。
でもとりあえず明日は入社式で緊張すると思います。
準備はそれなりにしっかりしているので大丈夫だと思いますが。
多分4月は必死に仕事して、5月、GWで久しぶりに友達に会えたらいいです。なんとかそこまで頑張ろうと思います。
Romantic Day 物乞い
最近、友人とご飯を食べている時、海外の話になり、そこで、物乞いの話にもなりました。また、YouTubeで、ある物乞いの動画を見ました。
その動画の内容は物乞いを目撃した時、どうすれば良いのかという内容でした。
“年齢や状況によって変える”というようなことをその人は言っており、一理あると思う内容でもありました。また、反対に違うとも思いました。
先に言っておきますが、考え方はそれぞれ違うので正解が何かはわかりません。
ですが、私が体験したこと、それを踏まえての考えを今日は書こうかと思います。
まず、私の住んでいる地域に物乞いをする人はいません。少し離れた地域にホームレスがいるのを2、3度見たことがある程度です。
もちろん、ホームレスと物乞いが一緒ではないことは承知です。
何が言いたいかというと、“自分の人生に身近ではない”ということです。
身近ではないが、見たことはある。という状況が物乞いについて考えるきっかけになっていると思います。
そんな中、初めて物乞いを見たのは高校生の時でした。
台湾に行った時、夜市の真ん中辺りに寝転がって、小刻みに動いている人が初めてです。その場には、旅行客だけでなく地元民もたくさんいたと思います。人が多く通る道の中心にいて、周りではその光景を立ち止まって見る人、素通りする人などがいました。
その光景を見た時は衝撃を受けました。高校生の時はホームレスも見たことがなかったため、初めて感じる気持ちになりました。
もちろん、貧富の差があることや、世界中いろんな人がいることなど知っていましたが、知っているだけで、実際に目の当たりにすると、どうしたらいいのか全くわかりませんでした。
その時はすぐにその場を離れました。
次に見たのは中国に留学している時です。
私がいたのは天津という地域で、北京や上海に比べるとそこまで発展はしてないですが、田舎というほど田舎ではないという場所です。
東京や大阪ではなく、福岡。といえばイメージしやすいかもしれません。
旅行に比べ、留学は長い期間のため、物乞いを見る機会はたくさんありました。
ショッピングモールや少し大きなスーパーの入り口の前でよく見ました。また、冬になると地下に行く階段の途中にいることが多かったです。
この頃はもう当たり前のように“物乞い”が身近にありました。
初めの頃はたまに少しのお金を入れていました。
しかし、中国はキャッシュレスが進んでいるため、現金を持ち歩くことが少なくなり、次第に、見かけてもお金を入れることがなくなりました。
そして、この頃の私の考えは、「必要としているならお金はあげてもいい」、「困っている人がいるなら助けよう」というものでした。
物乞いが身近でない人にとってはごく普通の考えかと思います。
日本でも小さい頃から、困っている人がいたら助けなさいと教育されて育っています。
考えが変わってきたのは友人と物乞いを見かけた時でした。
韓国人の友人で、韓国では日常だと言っていました。
彼らは物乞いにはなるべく関わらないように生活していました。
理由は、お金を持っていることがバレたらついてこられるということや、お金をあげることで、その人の生活を逆に苦しめる場合があるからだそうです。
もしお金をあげるような人がいなかったら物乞いをしている人は生活できなくなる。それなら、最初からあげずに根本を解決すべきだ。という意見でした。
他にも、子供を行為に傷付けそれを理由にお金をもらおうとする人もというものでした。
こういう話を聞いた時、私は物乞いをしている人たちの上辺しか見てなかったことに気付きました。
ただかわいそう。
自分より生活が苦しそうな人だから助ける。
という安易な考えで行動していました。
物乞いをしている人の背景を知らずに、自分の身に危険が及ぶ可能性もあるなど、考えればわかるようなことを考えていませんでした。
でも実際に物乞いをする人を見ると、少しでもどうにかしたいと思うのは事実で、
物乞いをしている人が、お金や食べ物が必要なのも事実です。
あげるのかあげないのか。
何が必要で、どうするのが正解か。
今もまだわかりません。
物乞いに対する考えはまだ決まってません。
最後にもう一つ体験した話を書いで終わりにしようと思います。
中国留学中、友人とマクドナルドで勉強をしていました。テスト前で、深夜の時間帯です。季節は冬で、雪も降っていました。
天津の冬は0℃前後と寒いです。日本では比較的暖かい地域に住んでいる私にとっては、外に出るのを躊躇う寒さでした。
凍えるような寒いの冬の夜にも関わらず、外では裸足でごみを漁る人がいました。
マクドナルドの前にゴミ箱が設置してあったため、座っている席から、何度も見ることになりました。
すると、一人のホームレスが店内に入ってきて、私たちの隣の席に座りました。(彼が物乞いをしていたわけではありません。)
お店側からすると、何も買わない人が店内に居続けるのはあまりよくないことだと思います。
彼の席からは当然私たちのテーブルにある食べ物や飲み物が見えるため、ずっと、何度もこちらを見ていました。
どういう理由であれ、寒そうな格好をしている人が物欲しそうに見る姿は、胸が痛くなります。また、少しの恐怖もありました。物乞いやホームレスの人が、近くで、長い時間(15〜20分)いることが初めてだったからです。
しかし、その当時の私は、ホームレスや物乞いの人には何もしない方が良いという考えだったため、見て見ぬふりを続けていました。
そこに、店内を清掃していたおばさんが来て、彼に水をあげました。
彼は最初は、大丈夫だと断っていましたが、水をもらうことになり、何度も感謝を伝えていました。頭も下げていました。
この光景を見た時、少しも力になれなかったこと、そもそも関わらないようにしていたことなど、自分の行動が恥ずかしくなりました。
先に書いたように、物乞いに対して、どうすることが正解かわかりません。友人のように、このような経験を多くした人とも考え方は違うと思います。
私自身、物乞いに対する考えはまとまっていませんが、すべき行動は決まっているのかなと思います。
清掃のおばさんがとった行動が良いと思ったし、そうありたいと思ったので、私の考えがまとまるまでは、物乞いに応え、何か行動をしようと思います。
写真は中国の話が多くなったので、天津で撮ったものを選びました。
天津古文化街の中の様子です。
フリマのようなものに近いかと思います。